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Something to live for, great enough to die for.

学部からの直接海外大学院進学奮闘記録。(LSE開発学2017年入学)

私の留学の動機・学びたいこと

アプライ

一般的な情報以外に私自身の話も、自分の頭の整理も兼ねて初めの方で少し書いておこうと思います。

 

私は日本国内の大学学部から、直接海外大学院進学を目指しています。

大学では国際関係学を主専攻、開発研究を副専攻にしています。元々国際開発・貧困の問題を学んで国連などで働きたいという思いを持って大学に入ったのですが、貧困という概念自体非常に定義が難しいこと、そして開発のあり方についても色々と見方があることなどを知ったことで、ある特定の分野(教育や経済)に専門を絞り込む前にまず社会科学の基礎素養を身につける必要を感じるようになり、政治学・国際関係学の理論や概念を中心に学部では勉強してきました。

 

その結果自分なりに開発というものが目指すべきものはこんな形じゃないだろうか、という答えが形成されつつあるのが今の状態です。

もちろん、普遍的な「開発とはかくあるべきだ」という答えがあるとはいいません。そもそもそんなことは誰にも証明できませんし。ただ、人はそれでも各々自分の信じる価値規範というものは持っていてよいと思いますし、その方が人生に意味を見出せるので各々が幸福でいれるとも思うのです。(最終的には幸福に生きたいという話です。)ま、でも押し付けと自分の信じる価値の追求とのバランスをどう取るのか、っていう難しい問いがありますが!(ちなみにこの問題についての自分の考えはとてもここで文字にまとめられるほど整理されてはないです。苦笑)

そういうわけで、そんな人生哲学のような(若造のものではありますが)ものができたところで、より実践的な「開発」に特化した知識を身に付けたいというのが大学院進学に際してのモチベーションです。

 

ただ開発といっても色々アプローチはあるわけで、その中で自分は何をやりたいのか、という話になるわけですが。

スペシフィックなエリアを言うのであれば、開発援助ガバナンス(援助機関+フォーマルなガバナンスが指す所のものも含めてのネットワークガバナンスに近い意味)と住民参加、という所です。

当事者の声の反映と機能する政策作りのバランスって、すごく難しいと思うんです。Legitimacy(正統性)とFeasibility(実行可能性)のバランスというか。

本当に今の開発政策って当事者と繋がってるんですかね?っていう疑問が自分の中にあります。でもこの疑念はきっと自分の目で現場を見ない限り解けないものだと思うので、修士をとった後の実務の中で現場を見て、またその時自分が次に何を考えるのか、楽しみでもあったりします。

まー長い道のりですよね。笑 でも実際学びや何かの追求って、常に終わらないプロセスなんだと思うんですよね。そしてだからこそワクワクするというか。でもちゃんと小さな進歩や成果はできるから、意味があると実感できたりもするというか。

 

そんなわけで自分の考えているコースについてですが、そういうわけで自分は開発「政策」の部分を学びたいと思っています。割とフィールド寄りのところと、政策分析を中心に扱うところと、大学によってやっぱりカラーってありますよね。そして、これはあくまで肌感覚ですが、"開発"というとフィールド寄りの方を志向する人の方がマジョリティなのかな?という感じはあります。だから周りに途上国開発・平和構築でキャリアを考えている人は環境的にまぁそれなりにいるんですが、開発「政策」となると今の所いない、というところです。大学院でそういう話ができるクラスメートが沢山できたらいいなぁ!なんて思ったり。