LSEで開発学を学ぶ

学部からの直接海外大学院進学奮闘記録。(LSE開発学2017年入学)

LSEの歴史 〜 ビーバーの紋章&校訓 裏話 〜

気付けばもう8月も終わりに近付いていて出国が迫っているわけですが、実感がイマイチ湧かない今日この頃です。笑

 

この間久しぶりにハリポタを賢者の石から見直してたんですが、ハーマイオニーが新学期始まる前の夏休みにホグワーツの歴史までしっかり読み込んできてたっていう描写があったのです。そんなきっかけで、ちょっとLSEの歴史について調べてみようという気になりました!( 我ながらミーハーですね...笑 )

ちなみにちょうど学校の紋章に関する学校側のブログ記事があがっていたので、大体はそこから情報引っ張ってきてます。

 

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さて、イギリスの大学にはcoat of arms (紋章) とmotto (校訓) があります。というかまぁ日本の大学でもある所ありますよね。

LSEの紋章はスクールカラーの黒、紫、金、そして本、ビーバーが用いられていて、校訓の「rerum cognoscere causas」が紋章の周りを取り囲むデザインになっています。

 

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この紋章、校訓はどのような経緯で決まったのでしょうか?

 

話は1920年代初頭、William Beveridge(ウィリアム・ベヴァリッジ)学長の時代に遡ります。彼は「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれた二次大戦後のイギリス福祉国家の土台となったベヴァリッジ報告書(1942)の著者で、進歩的な社会変革者として知られた経済学者です。

 

元々LSE1885年、貧困と不平等の原因研究を通じた社会変革を目的として、Webb(ウェッブ)夫妻により設立されました。ウェッブ夫妻がメンバーだったフェビアン協会は、20世紀初頭エドワード朝時代のイギリスで卓越した社会主義知識人の集まりとなりました。フェビアン主義は革命的なマルクス主義とは違い、漸進的な社会変革を志向する社会主義の思想です。

 

そんなベヴァリッジ学長時代のLSEは「学校」としての土台固めの時期でした。

1919年、黒・紫・金がスクールカラーとして採択され、1920年末までにはエンブレムと校訓についての議論が持ち上がったそうです。

 

初め、学校側は専門家に外注しようとしたそうですが、経済学の概念はデザインとしてあまり魅力的ではなく結局うまく行かなかったとか。

 

1921年、大学は8人の学生代表を含む委員会を設立。すると学生側は外注結果として提案されていたモノグラムに反対、費用はかかれど紋章の採用を主張しました。実際当時の学生自治会も一定の金銭的負担を負うことに合意し、紋章の採択を後押ししたそうです。

 

結果、委員会は大学の活動を象徴する何らかの動物を用いた紋章を採用することを決定、ビーバーがふさわしいとの合意に至りました。しかしその理由を説明するはっきりとした記述は残っていないそうです。

ただ、一般的に英語圏でビーバーは「work like a beaver」という言葉があるようにそのダム作りの様子から「勤勉」のイメージのある動物のようです。

 

一方でmotto (校訓) の方は学生・教授陣に公募をかけ、最終的に政治経済学のEdwin Cannan教授の案だった「Rerum cognoscere causas」、ラテン語で「 to know the causes of things (事物の原因を知ること)」という意味の言葉が採用されました。この言葉は共和制ローマ末期から帝政ローマ確立期に生きたラテン語詩人Virgilウェルギリウス)のGeorgics (農耕詩) からの一節で、引用箇所の全文は「Felix qui potuit rerum cognoscere causas (事物の原因を認識し得た者は幸いである) 」です。

 

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そんなわけで、紋章のビーバーは「Felix (幸運)」と名付けられたのでした。

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いやー面白い!!

ビーバーくん(勝手に男の子だと思ってる)がFelixって名前なのはどこかで聞いていたけど、こういう経緯だったんですねぇ。

ラテン語はあんまり知らないけど、そういえばハリポタの幸運の魔法薬、「Felix Felicis」って名前だったなぁなんて...笑

 

確かに、物事が「なんでそうなったのか」の原因を知った今、ハッピーですね。笑

 

では今回はこの辺りで!