LSEで開発学を学ぶ

学部からの直接海外大学院進学奮闘記録。(LSE開発学2017年入学)

イギリス史Part 1. ~ ノルマン・コンクエスト (The Norman Conquest / 1066) まで ~

突然なのですが、気付いてしまいました。

そう、私はロンドンにいるのです!笑

学校と寮の往復の毎日でなんだか忘れている気がするけれど苦笑、ここはロンドンなのです!!

ということで、大英博物館でも今度行ってみようかなぁと思い。ならちゃんと世界史の復習した方が面白いかなぁと思い。

とりあえずはイギリス史の復習からしてみよう。

という突然の思いつきの結果、これを書いています。笑

 

あくまでも高校世界史の知識を引っ張り出してきてるだけなので、間違いとかあるかもしれません。

まぁ概要を思い出して大英博物館を楽しむというのが目的なので、多少の間違いはあっても別にいいでしょう。笑

 

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さて。

今でこそ国際政治に大きな影響力を持っていますが太古の昔まで遡るとイギリスって野蛮人が住んでる辺境の島国でした。

紀元前(B.C.)3000年とかいつだよって感じですが、この頃にストーンヘンジは造られたらしいです。昔すぎて意味わかりませんね。

 

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B.C.800ヨーロッパ大陸からケルト人が渡ってきたらしい。B.C.800というとギリシアでポリスができ始めた頃ですね。

 

B.C.500くらいから共和政ローマが頑張ってきて(それより前にギリシャ、それより前に中東の方で文明起こってますけど)、でも結局みんなで回していきましょう政治は上手くいかなくて気付いたら寡頭政になってしまいます。

と、この頃頑張っていたカエサルが軍事侵攻の一貫でブリタニアにやって来ます。

これでブリテン島地中海文明世界に片足突っ込み始めました。(ロンドンの原型ロンディニウムはこの頃からブリテン島に入り始めたローマ人によって紀元後1世紀頃造られたそうです。)

 

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そしてローマは寡頭政からの帝政に気付いたらなってしまうわけで(この辺りどうしたら上手くみんなで回す統治できますかねって議論はなんと2000年以上経った今でも続いてるわけなのでムズカシイ問題です)、気付いたらキリストも生まれてA.D.になります。

五賢帝による安定期のローマ時代に、ハドリアヌスによって蛮族の侵入を防ぐための城壁が建設されます(万里の長城と同じですね)。イングランドスコットランドの境界はここからできたのか、という感じです(もしかして今でもあいつら辺境、とか思ってるんじゃないですかね)。

 

でもローマ帝国は時の流れと共に徐々に元気が無くなっていきます。そんなわけで帝国の周辺部では蛮族ゲルマン民族が侵入を繰り返し始めます。4世紀の後半のことです。

5世紀初めにはローマ軍はブリタニアから撤退。

5世紀半ばには例の蛮族ゲルマン民族 (アングロ・サクソン族) がブリトン島を征服し、7王国 (ヘプターキー/Heptarchy)を作りました。

            

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ちなみにアーサー王はこの5-6世紀の時代に、ローマン・ケルトブリトン人を率いてアングロ・サクソン人を撃退したと伝承される人物です。

なんだか騎士道物語ってもっと後の時代のようなイメージだったんですが、イメージよりも大分昔なんですね!

なお7王国ですが、Northumbria, Mercia, East Anglia, Essex, Wessex, Kent, Sussexといいます。

現在も使われている地名がありますね!こんな古い時代に起源があったんですね。

5世紀半ばって日本だと古墳時代古墳時代の地名を現在も使ってるって感覚なんですかね。びっくり!

この7王国時代、7C初めにケント王がロンドンに建てたのがセント・ポール大聖堂なんだとか(何度も火災の結果再建されているので現在のものは18Cのものですが)。

これはつまりケント王がキリスト教に改宗した結果ということです(だってゲルマン民族は元々キリスト教が生まれたローマ帝国民じゃないですしね)。

こうやってバラバラになったヨーロッパはしかしキリスト教という共通性で持ってまとまりを再構築していくんですね。

 

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ちなみにこのケント王を改宗させた人はカンタベリーアウグスティヌスと呼ばれた人で、この人がカンタベリーを中心に布教活動を行ったが故に、現在に到るまでカンタベリー英国国教会の総本山を構える中心地となっているのだそうです。

 

(ただ、現在英国国教会の総本山としての役割を持つようになっているカンタベリー大聖堂はこのサクソン人ではなく、その後侵入して来たノルマン人の王が、アングロ・サクソン式を嫌い新たに建てさせた建物で、12C前半に完成したものだそうです。)

 

そんなこんなでアングロ・サクソン人7王国はそのうちウェセックスの王が統一してみたりしたのですが、1066年、ヘイスティングズの戦い (Battle of Hastings) で遂にノルマン人に敗れ、ブリテン島の支配者はノルマン人へと移行しました。

 

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と、ここまで書いたはいいのですが正直何を持って民族、◯◯人、と定義してるのかよくわかっていないので、ゲルマン民族の中のアングル人、サクソン人の違いってなんなの、っていうかノルマン人も元々ゲルマン民族なの?じゃあ別にアングロ・サクソン人とノルマン人変わらないんじゃないの、とりあえずゲルマン民族ローマ帝国の民とは違うってことよねって感じであんまり綺麗に頭の中で整理できてません。笑

(高校生の時はそんなの一々考えてたら時代が進まないから突っ込まないようにしてたけど、結構どういうこと?って思うこと沢山あったよなぁって思い出してきました。笑)

 

なお征服王ウィリアム1世の戴冠式ウェストミンスター寺院 (Westminster Abbey) で行われ、以後の英国王の戴冠式ウェストミンスター寺院で行われるのが伝統となっています。

ちなみにウェストミンスター寺院自体は、ウィリアム1世の直前の王エドワード懺悔王 (サクソン系の王だけど亡命として長くノルマンディーで修道士と人生過ごしていたのでノルマン人好きでノルマン・コンクエストの下地を作ってしまったとされる無能王) が11C初めに建てたものだそうです (例によって改築/増築がされていますが) 。

 

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久しぶりに高校世界史の資料集開きました!

使うかなぁと思って持って来たのは正解でしたね。笑

 

実際にその場所に行こうと思えば行ける環境で改めて勉強し直してみると、やっぱり感慨が違いますね。

早く盗品展示場の大英博物館でワクワクできるくらいまで時代を進めたいです!笑

 

長くなりそうなので一旦ここで切りますが、そのうち続きをまた書きます!

では!!